ジオテクサービスの会社の資料室。古い記録資料をデジタル化し公開。画像は昭和38年1月豪雪時の長岡市内の風景で雪に埋まった鳥居の下で遊ぶ子供たち
昭和38年冬の長岡市内−雪に埋まった鳥居の下で遊ぶ子供たち→拡大フルサイズ
デジタル書庫へようこそ 更新日:2022/08/16

資料室に眠る,1963年=昭和38年1月豪雪−いわゆる38豪雪(三八豪雪,サンパチ豪雪,さんぱち豪雪)の画像をデジタル化しました。50年以上前の写真で、撮影者も既に退職しており、正確な撮影日時や場所は不明ですが、新潟県の長岡市内(最深積雪量318cm)で撮られたもののようです。

このサンパチ豪雪を契機に、当時の長岡市で試験的に導入されつつあった、消雪パイプが全国に普及しました。その後、ジオテクサービスでも「散水消雪ノズル」や「消雪パイプブロック」の販売を開始し現在に至ります。


【画像の見方】
1.画像クリックで拡大表示(1000ピクセル程度:0.2〜0.5MB)。
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1. 38年当時の長岡市内 ⇒現在の冬の長岡の画像はこちら

おそらく、雪が降り続いた昭和38年の1月24日以降、雪も落ち着いた2月上旬までの間に、長岡市の周辺で撮影された写真と思われます。

【市街地の積雪状況】
【積上げられた雪】
【雪の中の暮らし】
【雪と水】
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2. 自衛隊の災害派遣

ネット上の38豪雪の自衛隊の記録は、僅かです。1月24日の信越線・上越線の全面運休の後、1月28日未明の上野行き列車の出発に、自衛隊が線路除雪に協力しています。 (⇒外部リンク:三八豪雪と急行越路-大寒と55年前の急行列車) また、陸上自衛隊航空科部隊は、昭和38年1月29日にヘリコプター隊が霞ヶ浦から出動、新潟・金沢・福井の3ケ所にH-19×1機づつ派遣されたとの記事があります。(⇒外部リンク:38豪雪ヘリコプター救助活動の記録

【災害派遣】 【炊き出しとスコップ】
災害救助法

自衛隊の作業時の写真では雪も落ち着いているので、2月初旬の長岡市内と考えられます。

近年では、大雪の時の自衛隊の災害はめずらしくありませんが、それまでは「春になれば解ける雪」に災害救助法の適用はありませんでした。当時、大蔵大臣だった、新潟県選出の田中角栄が三八豪雪で初めて災害救助法を適用させたそうです。

火炎放射器による融雪

38年当時、自衛隊が火炎放射器を使って、雪を消そうとしたが、炎の当たった部分だけ雪に穴が開き、効果が無かったという、話を聞いたことがあります。以前、そのような写真を見た記憶もありますが、残念ながら画像は見つかりませんでした。

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3. 参考資料

三八豪雪に関係して、参考になる画像や関連リンクをまとめました。

1. 昭和34年の長岡市の風景

雪が無いときの長岡駅前通りの風景です。(昭和34/06/05撮影-1959年)

長岡市中心部を流れる信濃川に架かる長生橋。1937年(昭和12年)完成から22年後の風景。(昭和34/04/20撮影-1959年)


下記は、このページをまとめる際に参考にした、外部リンクです。

 ⇒[PDF] 38豪雪災害の記録 | ながおか防災ホームページ

 ⇒[動画] NHKアーカイブス:38豪雪積雪4メートルも

 ⇒長岡発の雪国名物「消雪パイプ」

 ⇒三八豪雪と急行「越路」

 ⇒38豪雪ヘリコプター救助活動の記録

 ⇒「三八豪雪」「五六豪雪」…今年の豪雪度は?

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Text by Geots
初回掲載:2021/08/16