会社の書庫に眠る古い資料や、社員の所蔵する写真の中で、歴史や技術の記録として価値のありそうなものを、拾い出してデジタル化し掲載しました。
現在の会社の事業と直接関係無いものも多く含まれますが、過去の技術遺産、あるいは、ささやかな歴史資料として、何かの役に立つこともあるかとの思いで、ここに掲載しました。
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会社の資料室で見つけた,1963年=昭和38年豪雪の新潟県長岡市内で撮影された写真をスキャンしました。
当時の積雪深は最大318cm。雪で埋まった鳥居の下で遊ぶ子供たちの姿が写っています。雪が少し落着き、自衛隊も到着した1月27日以降の写真と思われます。
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昭和38年1月24日に雪で信越線、上越線は全面運休しました。その後一部開通までに4日間。完全復旧したのは2月18日でした。
これは長岡駅に隣接する長岡操車場の除雪の記録です。ある国鉄職員の遺品の、古びたネガフィルムからデジタルスキャンしました。
大雪は昔からありましたが、昭和38年1月の豪雪は、道路や鉄道の広域輸送網に大きな影響を与え、初めて雪が災害として認識されました。
この38豪雪以後、さまざまな除雪、消雪技術が急速に進みました。昭和40年代の雪に関わる画像資料を掲載しました。
昭和38年(1963年)豪雪から58年後の2021年01月11日の長岡駅前通りです。この日積雪は141cmを記録。昭和38年の318cmに比べれば半分ですが、交通機関は乱れ、一部地域で自衛隊も出動しました。
長岡中心部では道端に雪が残るものの、路面は完全に露出。58年間の雪対策の進歩を画像で比較します。
昭和38年豪雪の当時、新潟県内の信越線や上越線の線路の除雪に活躍していた雪カキ車が、遠く離れた福島県の西会津町で保存されていました。
これらの車両は、このページの上の「38号豪雪の記録−長岡操車場」に掲載された写真の中にも写っています。筆者にとっては58年ぶりの再会でした。