ジオテクサービスの会社の資料室。古い記録資料をデジタル化し公開。画像は昭和38年1月豪雪時の長岡市内の風景で雪に埋まった鳥居の下で遊ぶ子供たち
昭和38年冬の長岡市内−雪に埋まった鳥居の下で遊ぶ子供たち→拡大フルサイズ
デジタル書庫へようこそ 更新日:2022/08/16

古いネガアルバムに残っていた,1963年=昭和38年1月豪雪時の、長岡操車場の記録写真です。60年近く前の写真で、撮影者も既に故人となっておりますが、鉄道の雪との戦いの記録として、画像をデジタル化して残しました。

この三八豪雪のころは、雪をかき分けるラッセル車が主力で、排雪も人力や流雪溝、貨車輸送でした。その後、ロータリー除雪車の開発も進み、電熱によるポイントヒータや、地下水散水によるポイント消雪施設も整備され、鉄道の雪への耐性が格段に向上しました。


【画像の見方】
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1. 画像掲載の経緯

2021年、1年前のお盆に、8年前に他界した父の遺品を整理していたら、年代物のトランクの中から、古い白黒写真のネガを100本近く見つけた。昭和33年から昭和45年の間に撮影されたフィルムである。

父は、若いころから写真が趣味で、自宅の4畳半を毛布で締め切り、簡易的な暗室を作りフィルムも自分で現像していた。

昭和38年1月のネガフィルムを透かしてみると、白い雪に埋まった、黒い蒸気機関車のようなものが写っている。詳しい中身を見るため、ネットでフィルムスキャナーを注文し、ひとコマづつ手作業でスキャンし画像ファイルに変換した。

しかし、その後、仕事も忙しくなり、画像の整理は中断していた。

1年ほどして、38豪雪のwebページの写真を見た放送関係の方から、当時の豪雪を体験した人の肉声を取材したいとの問い合わせがあった。

しかし、昭和38年(1963年1月)から現在の平成4年(2022年)まで59年の歳月が流れている。長岡市内の雪の写真を残した、会社の先輩は人物不詳であるし、長岡操車場の写真を残した筆者の父(大正14年-1924年-10月1生まれ。当時38歳)も、9年前に89歳で他界している。父の同僚の方々も、既に多くは訃報通知を受け、もし存命でも、当時30代なら今は90~100歳で、当時の体験を語れる人を探すのは難しい。

何か写真以外の記録はないかと探すうちに、父が毎日欠かさずつけていた日記帳を思い出した。応接間の奥の棚を探したら、30冊余りの日記帳を見つけた。

父の日記は、昭和32年(1957年)の1月1日から、平成25年(2013年)12月15日死去の3日前まで57年間は、1日も休まずに書き続けられていた。内容は「日記」というより、日々の出来事を淡々と記した「日誌」に近いものであり、3分の1くらいは、毎日の仕事の内容を簡潔にまとめた、業務日誌でもあった。

この、日記と写真を元に、当時の国鉄の長岡操車場(現在の南長岡駅)の38豪雪をたどる。

2. 撮影メモ
2-1. 撮影場所

新潟県長岡市 長岡操作場(現在の南長岡駅)

長岡駅の南側(東京寄り)で、新潟〜東京を結ぶ上越線と、大阪〜金沢方面〜から来る北陸本線の合流点にあった、貨物ヤード兼車両基地であった。

国鉄社内では、操車場を含む貨車の入換作業を行う駅を組成駅と総称しており(Wiki 日本の貨車操車場より引用)」、長岡操車場は、本社指定の組成駅であった。

当時、上越線は電化されており、合流する北陸本線は蒸気機関車であった。ここで、貨物列車の再編成や、機関車の付け替えが行われていた。構内には、貨物専用の南長岡貨物駅もあり、当時の新潟県中越地域の貨物輸送の中心であった。

2-2. 撮影者:佐藤 国二(さとう くにじ)

佐藤国二(くにじ)

大正14年10月1日生まれ。当時39歳。長岡操車場勤務。

2-3. 撮影機材:MAMIYA 35mm

38豪雪の時は、最初古い2眼レフカメラを使い、大判の120フィルム,6×6cm版で撮影していたが、後半は豪雪撮影用に35mm白黒フィルムを購入し、写真のMAMIYAのカメラを利用していた。

2-4. 撮影日

基本24時間勤務(休憩、仮眠含む)だいたい、午前8時半頃に勤務を開始し翌日午前8時半まで勤務。翌朝が非番で翌々日が公休というのが基本的な勤務体制で、たまに日勤(だいたい普通の会社と同じ様な時間を勤務)、夜勤(午後5時半ぐらいから翌朝午前8時半まで)と公休の連休が入りローテーションが変動していきます。非番中に研修などもあったりします。多少、時間の前後があるととは思いますが。

日記によると、非番の休暇中にも駅に出向いて、雪害の記録写真を撮っていたようである。


以下、日記の内容と、写真を時系列でまとめた。

3. 1月中旬の積雪

昭和38年の1月は、最初1月11日(金)から雪が多くなり、1月19日(土)ころまで列車の遅延が続いた。この時の最大積雪深は120cm程度であった。

日記では、この期間、休日に2回ほど駅に出向いて、雪害の写真を撮っている。ただ、この時の雪害は、1月23日以降の、いわゆる「三八豪雪」に比べれば、まだまだ少なかった。

 ●昭和38年1月 11日(金) テ(下実) 雪
 •朝から雪。終日、雪が降る。
 •夜半から特に激しくなる。

 ●昭和38年1月 12日(土) 非番 雪 積雪120cm
 •今日も雪が降り止まず、積雪が1mを越す。
 •帰宅後、停電に備えて、石油ランプを取り出す。
 •雪に備えて「かんじき」を求める。¥180円
 •夕刻まで休養をとる。

 ●昭和38年1月 13日(日) テ(下実) 雪
 •日中は特に激しい降雪で、一時吹雪となる。
 •夜間になって気温が低下し雪も晴れる。

 昭和38年1月 14日(月) 非番 快晴
 •快晴となる。
 •正午まで休養をとる。
 •午後、駅まで出向いて雪の写真を撮る。夜現像をする。
 •フイルム、ミクロファイン・スピードフイツクスを求める。

 昭和38年1月 15日(火) 公休 快晴〜吹雪
 •日中は快晴で青空が見えていたが、夕刻から吹雪混りとなる。
 •午前中、駅の雪害の写真を撮り、直ちに現像する。
 •午後、煙突掃除と木炭を出す。夜、入浴する。

 昭和38年1月 16日(水) テ(下実) 雪 吹雪
 •本日も夕刻まで、ラッセル車で構内排雪を行う。
 •午後から吹雪となり、列車の遅延がひどくなる。

 昭和38年1月 17日(木) 非番 小雪
 •・千鶴子(妻)が、家族の新年会のため長岡に出たので、朗(長男)と留守番をする。
 •・石油コンロの清掃と、石油を購入する。
 •・大根を畑から掘り出す。

 昭和38年1月 18日(金) テ(下実) 雪
 •終日降雪で、ラッセル車を運転する。
 •午後、仕3番道路橋下で、複線ラッセルが脱線する。載線(レール上に復帰)が20時となる。
 •夜になり吹雪が激しくなる。

 昭和38年1月 19日(土) 非番 吹雪
 •終日吹雪となり、特に夜半激しく、気温が低下し、室内の水が凍結する。
 •午後、長岡へ出向き印画紙を求める。
 •18時から雪害時の焼付けをする。深夜2時まで掛かる。

 昭和38年1月 20日(日) 公休 小雪
 •午前中、写真の処理をする。
 •午後、散髪をする。夕方、窓際の除雪をする。
【市街地の積雪状況】
4. 1月下旬の豪雪

昭和38年の1月は、最初1月11日(金)から雪が多くなり、1月19日(土)ころまで列車の遅延が続いた。この時の最大積雪深は120cm程度であった。

日記では、この期間、休日に2回ほど駅に出向いて、雪害の写真を撮っている。ただ、この時の雪害は、1月23日以降の、いわゆる「三八豪雪」に比べれば、まだまだ少なかった。

【積上げられた雪】
【雪の中の暮らし】
【雪と水】
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2. 自衛隊の災害派遣

ネット上の38豪雪の自衛隊の記録は、僅かです。1月24日の信越線・上越線の全面運休の後、1月28日未明の上野行き列車の出発に、自衛隊が線路除雪に協力しています。 (⇒外部リンク:三八豪雪と急行越路-大寒と55年前の急行列車) また、陸上自衛隊航空科部隊は、昭和38年1月29日にヘリコプター隊が霞ヶ浦から出動、新潟・金沢・福井の3ケ所にH-19×1機づつ派遣されたとの記事があります。(⇒外部リンク:38豪雪ヘリコプター救助活動の記録

【災害派遣】 【炊き出しとスコップ】
災害救助法

自衛隊の作業時の写真では雪も落ち着いているので、2月初旬の長岡市内と考えられます。

近年では、大雪の時の自衛隊の災害はめずらしくありませんが、それまでは「春になれば解ける雪」に災害救助法の適用はありませんでした。当時、大蔵大臣だった、新潟県選出の田中角栄が三八豪雪で初めて災害救助法を適用させたそうです。

火炎放射器による融雪

38年当時、自衛隊が火炎放射器を使って、雪を消そうとしたが、炎の当たった部分だけ雪に穴が開き、効果が無かったという、話を聞いたことがあります。以前、そのような写真を見た記憶もありますが、残念ながら画像は見つかりませんでした。

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3. 参考資料

三八豪雪に関係して、参考になる画像や関連リンクをまとめました。

1. 昭和34年の長岡市の風景

雪が無いときの長岡駅前通りの風景です。(昭和34/06/05撮影-1959年)

長岡市中心部を流れる信濃川に架かる長生橋。1937年(昭和12年)完成から22年後の風景。(昭和34/04/20撮影-1959年)


下記は、このページをまとめる際に参考にした、外部リンクです。

 ⇒[PDF] 38豪雪災害の記録 | ながおか防災ホームページ

 ⇒[動画] NHKアーカイブス:38豪雪積雪4メートルも

 ⇒長岡発の雪国名物「消雪パイプ」

 ⇒三八豪雪と急行「越路」

 ⇒38豪雪ヘリコプター救助活動の記録

 ⇒「三八豪雪」「五六豪雪」…今年の豪雪度は?

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Text by Geots
初回掲載:2021/08/16